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青春は一度だけ 

突然の訃報、参りました。大塚幸代(*@yukiyoo)さんのこと、
それも四半世紀以上前の思い出をこんなところに書くのはどうかなと思いつつ…。

”Anarchic romanticism of youth”
女子高に通っていた頃、フォーク部(今で言う軽音部。アンプラグドではない)
に所属してパンクのコピーバンドをしていた。
それまでの部室には、人畜無害なフォーク/ニューミュージック系の
カセットテープや楽譜が並んでいたのだが、そこに『FOOL'S MATE』や
『DOLL』といったインディーズ系の雑誌、そして宝島系のアナーキーな
空気を持ち込んだのが、私たちのバンドThe Fitzだった。

演奏するのはピストルズなどの初期パンクと日本のインディーズ。
当時の部員連絡用ノートに「昨日、豊島公会堂のブルーハーツ行ったよ」
「池袋五番街でナゴムのレコード買った」「町蔵カッコいい!」という
コアな書き込みをしては、次々と純な後輩たちをそっち方面に感化していったように思う。

大塚さんはフォーク部の1つ下の学年で、私たちに多少なりとも影響を受けて
ブルーハーツやラフィンのカヴァーを始めたのではないかな。
映画『リンダ リンダ リンダ』みたいに、上履きを履いて放課後制服でやるガールズバンド。

レベッカとか渡辺美里とか、本来なら王道のポップスをやるような後輩を
変な方向に導いてしまったかも!?…と内心罪悪感を感じていたある日、
彼女が友人と二人で編集したというフリーペーパー《赤茄子》を見せてくれた。
内容が濃くてセンセーショナルで、自分たちよりよっぽどサブカル適性があるなと思った。
「先輩の声ってメスカリン・ドライヴのヴォーカルに似てるんですよね」
その頃、個人的にファンレターをもらったのが密かな自慢でもあった。

大学に入って間もなく、私はパンクから離れ渋谷系などのおしゃれ音楽好きへと転向し、
ピチカート・ファイヴを輩出したサークルで一見明るく楽しい青春を送った。
奇しくも同じ頃、彼女も某私大の音楽サークルに入り、フリッパーズ・ギターの
ファンジンを作るなどしていたという。

社会人になり、偶然QJ誌のスタッフ欄に名前を見つけたとき、
ずうずうしく自身のバンドのCDを送り付けて
(インディーズとはいえ、全国の外資系レコードショップに流通していた)
レビューを掲載して欲しいと頼んだこともあった。
耳の肥えた業界人になった彼女は一応了承してくれたものの、
音の感想について聞くと、「うーん、何かが足りないんですよね」と
もう昔のようにほめてはくれなかった(笑)。
でも丁寧に対応してくれたのを覚えている。

その後のデイリーポータルZなどでのご活躍は周知の通り。
私も時々気になって彼女の書く文を一方的に読んでいたが
食べ物を青くする実験とか、くだらないものが好きだった)
なぜかこちらから連絡をとるのは憚られた……。
それは、やはり彼女と自分が似すぎていたからだろうか?

いつも何かに躊躇しているような、過去を吹っきれてないような、
でもそんな後ろ向きの作風に救われていた人々も少なからずいたはずだ。
よく晴れた春の日、凧の糸が切れふわりと空に飛んでいってしまった――。



*こういう時にしゃしゃり出て来る先輩、彼女は嫌うだろうけど。チェコ雑貨を扱っていたから?
私の名を知ってか知らずかTwitterでフォローしてくれていた。いつもTLにいたのに連絡すれば良かったね:涙。
*凧は彼女のブログの名前「日々の凧揚げ通信」にちなんで。
*川越周辺の音楽マニアを形成した伝説の貸しレコード屋「G7」も今はもうない。

by hongomitte | 2015-04-04 03:37 | 音楽


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